生活雑記

ただただ自分語り

追憶①

大学時代最も時間を割いたのは「元彼女」だ。

多分この時の俺は精神的に狂ってたと思う。

いや、絶対に狂ってた。だって同棲とかしてないし、なんならちゃんと付き合ってもいないのに週六とかでその元彼女の家に行ってたんだから。

多分、この頃から俺の「恋愛観」というものが変わってしまったし、歪んでしまったんだと思う。

 自分の中で「過保護」にしてしまう且つ「不安定」な女の子を好きになるようになってしまったのだ。

実際、この「元彼女」というものが大学を機に上京してきた子で、周りに知ってる人が誰もいなく、初めての一人暮らし、学校生活に馴染めないといった精神が不安定になる条件に見事にマッチしていたのだ。正直、自分はこの子を守ってあげたいと思った。いや、守ってあげたいって言い方は少しオーバーだったかもしれない、だけど当時の自分は少なくともそう感じていたのだ。この子を守りたい、たのしい学校生活を送ってもらいたい、そういった風に。

 それからは自分はひたすらにその子の相談に乗り、辛いときは近くにいてあげ、できるだけポジティブな言葉をかけその子を励まし続けた。

 そんな生活を送るうちにその子と付き合うようになり、より一層一緒に過ごす時間も増えていった。

 しかし、「付き合う」という行為は自分とその彼女の中で大きなギャップを生んでしまったのかもしれない。

 付き合う前の自分の存在はいわゆる「相談相手」だった。つまり自分から「能動的」に動かない、常に彼女の反応を待ち、伺うといった「受動的」な態勢だったのだ。そんな「相談相手」で「受動的」だった自分が「能動的」に動くようになったらどうなるのか。

 結果から言えば「崩壊」だった。それはそうだろう。だって彼女からしたら今まで自分が動き出さないと動かなかった奴が動き出さなくても言うようになったりしたのだから。

 煩わしかったと思う、しかし、「付き合う」ってそういうものではないのか?そういった煩わしさがある中でお互いの中で譲れるところ、譲れないところを言い合い、折り合いをつけ対等になる。それが「付き合う」というものだと思ってた。

 結局のところ、彼女の中で自分はずっと「相談相手」だったのだ。その枠を打ち破ることができなかった。「彼氏」と「彼女」ではなく、「彼女」と「相談相手」という形のままでしか入れなかったんだと思う。

 自分は「彼氏」になれなかった。多分、それは今でも続いている。